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HARRY WINSTON(ハリーウィンストン)のダイヤモンドに世界が魅了される。世界で限定販売の時計

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キング・オブ・ダイヤモンドと呼ばれるHARRY WINSTON(ハリーウィンストン)。

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僕がこの名を初めて聞いたのは、ユナイテッドアローズの重松理氏がされていた、自身の時計についての雑誌インタビューでした。

ダイヤモンドが散りばめられた上品な上流階級の香りが漂う時計は見るものの心を奪うといわれています。

By: Phillip Pessar

ウィンストンはダイヤモンドがデザインを決めるというくらい、石に拘り抜いています。

一般庶民には手が出るレベルではない価格でしたが、造形の美しさはその名を知らずとも意識せざるを得ない存在感です。

創立者のハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON 1896年-1978年)は宝石商の息子として生を受けました。

父親のヤコブ・ウィンストンはニューヨークで宝石店を営んでいた。

その所為か小さい頃から宝石に触れることが多かったハリー・ウィンストンは次第に石を見る眼を養っていった。

12歳の頃、25セントで売られていた緑の石を購入した。

その緑の石を2カラットのエメラルドだと見抜いていたハリーは、宝石商を営む父のもとに持ち帰った。

その後、石は800ドルで売却された。

この話は現在でも伝説として語り継がれているといいます。

ハリーウィンストンの眼はその奥で燻る輝きを見つけることができる。

彼は石が持つポテンシャルを最大限に引き出す眼と方法をしっているんです。

人間的な魅力をも感じさせるHARRY WINSTON(ハリーウィンストン)。

伝説的なブランドには魅力ある創始者がいるものですね。

この世に生まれたならば、ぜに身に着けてみたいです。

以下の時計も世界で限定20本です。


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1896年誕生(1978年没)。
1911年、15歳のときにはロサンゼルスに居を移して店を開いた父親の宝石店で仕事を始める。
1920年、24歳のときにプレミア・ダイヤモンド社をニューヨーク五番街535番地に設立。
第一次世界大戦後、ヨーロッパ貴族が市場に売りに出した華やかで装飾過剰なジュエリーをモダンにリメイクし、当時の新興富裕層のステイタスシンボルとなるシンプルなデザインのジュエリーを制作した。
1925年にはアメリカの大富豪ストダート夫人の遺産コレクションを落札。
そのコレクションを125万ドルという当時として破格の値段で売却することに成功した。
ここでの成功と手にした収入から、ハリーは彼が目指す世界の富裕な人々が所有する極上の宝飾品を扱う宝石商へと歩みを進める。
1926年にはアメリカの鉄道会社創設者であったハンティントン夫人のコレクションを120万ドルで落札、
1930年にはアメリカの公開競売場に出たもののなかでは最大といわれる39カラットのエメラルドカットのダイヤモンドの落札に成功。
1932年にはプレミア・ダイヤモンド社を閉鎖し、新たにハリー・ウィンストン社をニューヨークの51番通り東に設立。
高額の宝石を売買、リメイクするだけでなく、自らのデザインによる宝飾品の制作を本格的にスタートする。
1933年、ハリー・ウィンストン、エドナと結婚。
1943年、アカデミー賞の授賞式に着用するジュエリー貸し出しを、他の宝石ブランドに先駆けてハリーが提案。
1947年にはキャサリン・ヘップバーンが、インクイジション・ネックレスを身につけて授賞式に出席した。
1949年、大きな宝石の巡回展「宝石の宮廷」展を開催。
1951年、127.01カラットのダイヤモンド「ポーチュギーズ」を購入。
1955年、ジュネーブ店オープン。
1958年、ワシントンD.C.のスミソニアン博物館に、フランス国王ルイ14世、マリー・アントワネット妃も所有したといわれ、身に付けた人全員が不幸になったというブルーダイヤモンド「ホープ」を寄贈。
イランのシャー、モハメッド・レザ・パーレヴィ・アリャミールと、イランのシャンバノウファラとの結婚に際し、ヌル・ウル・アイン・ティアラを作成。

1960年、ニューヨーク五番街718番地に移転。パリのルーブル美術館にて「フランス王室の宝石」の展覧会を開催。ナポレオン1世がハプスブルグ家のマリー・ルイーズ皇后に贈った総計275カラットのダイヤモンドネックレス「ナポレオン・ネックレス」を購入。

1962年、インド人ジュエリーデザイナーのアムバジ・シンディをハリー・ウィンストン社のチーフデザイナーに指名。

1966年、241カラットのダイヤモンドの原石を入手。この原石から、69.42カラットのペアシェイプのダイヤモンドをカットし、後にバートンが女優エリザベス・テイラーのプレゼントに購入したことから、「テイラー・バートン」と名づけられる。

1972年、ダイヤモンド原石のなかで、史上3番目の大きさの970カラットのダイヤモンド「スター・オブ・シエラレオネ」を購入。ジュエリー・カッターのラザール・キャプランにより、総計で238.43カラットの重量 をもつ、総数17個のダイヤモンドにカットされる。

1978年、ハリー・ウィンストン、ニューヨークにて死去。享年82歳。ハリーの息子、ロナルド・ウィンストンがハリー・ウィンストン社代表取締役に就任。二代目のロナルドは時代に合ったビジネスを広げ、クオリティの高い1カラットの指輪を作り、若い世代も獲得。自宅に日本庭園や茶室を設けるなど日本の伝統文化を愛する親日家としてもよく知られるロナルドは、1988年、ホテル西洋銀座に日本初のサロンを開く。同年、時計部門を新設。

1989年、腕時計シリーズ「アルティメイト・タイム ピース」をスタート。1994年、貴金属ロジウムを使った腕時計「ガラテ」を製作。

1997年9月20日、スミソニアン博物館にハリー・ウィンストン・ギャラリーがオープン。

1998年、大阪にサロンをオープン。2000年9月25日には、東京旗艦店が銀座1丁目の読広新社屋にオープン。

2004年、ハリー・ウィンストンはアバー・ダイヤモンド・コーポレーションに買収される。アバーはダイアヴィック鉱山に出資し、ティファニー社に年間最低5千万米ドルのダイヤモンドを販売する、カナダ最大級のダイヤモンド・マイナー。

2006年2月表参道ヒルズ本館1階に表参道ヒルズ店をオープン。

銀座・大阪に次ぐ3店舗目となる表参道ヒルズ店は、新コンセプトを導入し、ブロンズを基調としたファサードや、ブラウン系の色をベースにした現代風のインテリアなど、国内他店舗とは差別化を図った。デザインは、「自由の女神」の修復を監修したフランス人建築家、ティエリー・デスポンが担当。オープンを記念して、新作ジュエリー「マーキッサ・コレクション」を発表した。

アメリカ・ワシントンD.C.にあるスミソニアン博物館には、彼が寄贈したジュエリー・コレクションが陳列され、世界の有名なダイヤモンドの約3分の1は一度はハリー・ウィンストンの手の中にあったといわれている。

以下サイトより引用しました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3

http://www.fashion-st.net/link/harry.html

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