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村上春樹 職業としての小説家

投稿日:2015年10月11日 更新日:

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読み心地の良い本でした。なんども読み返したくなる。

この世の生み出す全ての文章が村上春樹さんによって生み出されたのなら、どんなに楽しいブックlifeが待っていることか。

村上春樹さんが生み出す文体は(小説も含め)頭の中に抵抗無く入ってくる。

リズム良く読み進められるので呼吸をするが如く当然のように読める。

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何事にも「リズム」はとても大切。

そんな文体・物語はどのようにして生まれるのか、その触りがほんの少しだけ垣間見えた感じがします。

心地が良い文章は読み手と書き手が作り出す。

内田先生は読み手と書き手の「呼吸が合う」とブログか著書に記されていました。

著書には村上春樹さんが考える社会が効率を求めるシステムが学校という子供の世界にまで影響を及ぼしていることを懸念している。

全ての学校関係者はこれを読み、受け手として租借して自分の内に収めてもらいたいと思う。

本書は文章を書くことを職業とするブロガーにも当てはまるところはあると思う。

ブログを運営する上で書く行為というのはいわば命とも言える作業。

文は人である。

の言葉のように、文体は村上春樹さんそのものであり、また文体から自分という「形」が作られるということを学べる。

全て僕の感想だから反論は認めぬ。

下記は本書の中で租借したかった箇所を書き起こしています。

しかも通勤電車内でガラケーでやったので非常に時間がかかった(笑)

内容に触れる部分もありますので、まだ本書をお読みになっておらず、内容を知りたくない方はスルーしてください。

ではどうぞ。

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苦労話をするつもりはないんですが、要するに二十代を通して、僕なりにかなり厳しい生活を送っていたんだということです。
もちろん僕なんかよりもっときつい目にあっていた方は、世の中にいっぱいおられると思うんです。
そういう人からすれば、僕の置かれた境遇なんて「ふん、そんなの厳しいうちに入らないよ」ということだろうし、また間違いなくその通りだと思います。
しかしそれはそれとして、僕としては僕なりに十分きつかった。
そういうことです。
でも楽しかった。それもまた確かなことです。

34ページ

楽しいことというのは何に勝るものでもない。生きる上で最重要なことなのかも知れない。

どれだけそこに正しいスローガンがあり、美しいメッセージがあっても、その正しさや美しさを支えきるだけの魂の力が、モラルの力がなければ、すべては空虚な言葉の羅列に過ぎない。

37ページ

正しさとは一見するだけでは分からず、あらゆる方向から見て決まるもの。メッセージに何も感じないのだろしたらそこに魂がないのだろう。
魂を感じるには身体の感度を上げなくちゃいけない。日頃から身体の声に耳を澄まして聴くように心掛けよう。

英語にエピファニーという言葉があります。
日本語に訳せば「本質の突然の顕現」「直感的な真実把握」というようなむずかしいことになります。
平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」という感じです。

42ページ

正義感や道徳心を持つには不条理な世界が必要な場合がある。

しかしひとつの作品が真に優れていれば、しかるべき時の試練を経て、人はいつまでもその作品を記憶にとどめます。

69ページ

時代が流れてもその輝きを失わない小説は多々ある。

僕は生まれてこの方、文学賞の選考委員会をつとめたことが一度もありません。
頼まれることもなくはないのですが、その度に「申し訳ありませんが、僕にはできません」とお断りしてきました。
文学賞の選考委員をつとめる資格が自分にはないと思っているからです。

どうしてかといえば、理由は簡単で、僕はあまりにも個人的な人間であり過ぎるからです。
僕という人間の中には、僕自身の個人のヴィジョンがあり、それに形を与えていく固有のプロセスがあります。
そのプロセスを維持するためには、包括的な生き方からして個人的にならざるを得ないところがあります。
そうしないとうまくものが書けないのです。

でもそういうのはあくまで僕自身のものさしであって、僕自身には適していても。そのままほかの作家に当てはまるとは思えません。
72ページ

村上春樹さんはそういうけれど、自らのものさしすら持てない人が多い。
だから賞が有り難がれる。

日本においてあまり普通ではないこと、他人と違うことをやると、数多くのネガティブな反応を引き起こすというのは、まず間違いのないところでしょう。
日本という国が良くも悪くも調和を重んじる「波風をたてない」体質の文化を有していることもありますし、文化の一極集中傾向が強いこともあります。
言い換えれば、枠組みが堅くなりやすく、権威が力を振るいやすいわけです。
95ページ

なるほど。枠組みの中に入っていこうとする自分がいることの気付かされる。
破ることを考えなくちゃいけない。

どのようにして見極めていけばいいのか?
これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。
98ページ

遊ぶが勝ち。遊ぶ価値。全てに当てはまる哲学だ。
ブログをやっているときは凄く楽しい。
自分の意見を思うがままに書いて、馬鹿な反論を無視できる。素敵。

結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持っていけるのはそれだけである。
157ページ

自分の中に潜り込むことが必要。
その為に外へ向ける慧眼が必要。

時間を自分の見方につけるには、ある程度自分の意志で時間をコントロールできるようにならなくてはならない。
時間にコントロールされっぱなしではいけない。
受け身になるのではなく、こちらから積極的に仕掛けていくわけです。
158ページ

若いときって時間をすごくコントロールできたよね。
中年になるにつれ時間を拘束される。
っていうか、組織の中にいると自然とそうなる。

自分の「実感」を何より信じましょう。
たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。
書き手にとっても、また読み手にとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありません。
160ページ

身体の声に耳を傾ける。これも著書の中に繰り返される部分なので村上春樹さんは重要に考えていることだと思う。
実感を大切に。
これは人生の標語にしよう。
迷ったらこれだ。そのためには道徳心を身に着けなければ。

また最近の研究によれば、脳内にある海馬のニューロンが生まれる数は、有酸素運動によって飛躍的に増加するということです。
171ページ

やはり僕の運動は正しかったのだ。
運動後の清々しい気持ち。健やかな精神状態。運動によって得られるものは大きい。
精神と身体に境界線はないんだよ。

走る理由が出来て満足。

というか、身体が素直に感じることに注意深く耳を澄ませるのは、ものを創造する人間にとっては基本的に重要な作業であったのだなと痛感します。
精神にせよ頭脳にせよ、それらは結局のところ、等しく僕らの肉体の一部なのです。
そして精神と頭脳と身体の境界は、僕に言わせてもらえば一生理学者がどのように述べているかはよく知りませんが一それほどくっきりと明確な線で区切られているものではないのです。
175ページ

ここも重要ですよね。人間は何でも線を引きたがりますが世の中のもの全てはグラデーションなのです。
アナログなのです。DIGITALじゃない。
足が痛いというのは、身体が脳に「走るな」「動くな」と命令している。
身体が教えてくれている。身体の声に耳を傾けよう。

たとえばアンソニー・トロロープという作家がいます。十九世紀の英国の作家で、数多くの長編小説を発表し、当時とても人気があった人です。
彼はロンドンの郵便局に勤務しながらあくまで趣味として小説を書いていたのですが、やがて作家として成功を収め、一世を風靡する流行作家となりました。
しかしそれでも彼は郵便局の仕事を最後まで辞めませんでした。
179ページ

会社員ブロガーみたいな感じね。
なるほど。感じる人の問題ってことですね。

まず十全に生きること。
そして「十全に生きる」というのは、すなわち魂を収める「枠組み」である肉体をある程度確立させ、それを一歩ずつ着実に前に進めていくことだ、というのが僕の基本的な考え方です。
184ページ

魂を込める。一生懸命に生きる。
魂を込めたいものを早く見つけそれに注入していく。

フィジカルな力とスピリチュアルな力は、いわば二つの車の両輪なのです。
それらが互いにバランスを取って機能しているとき、最も正しい方向性と、最も有効な力がそこに生じることになります。

ああこれ凄くわかる。
ちかごろはスピリチュアルな力が軽微に扱われている気がします。

眼に見えるものだけに耳を傾けるのは愚の骨頂です。
見えないものこそ大切なので。

感じる力。
人生の課題としたい。

意志をできるだけ強固なものにしておくこと。
そして同時にまた、その意志の本拠地である身体もできるだけ健康に、できるだけ頑丈に、できるだけ支障のない状態に整備し、保っておくことーそれはとりもなおさず、あなたの生き方そのもののクォリティーを総合的にバランス良く押し上げていくことにも繋がっていきます。
186ページ

身体は健康で頑丈なので、あとは意志を強固にするだけ。

なぜ学校の勉強を熱心にしなかったかというと、いたって簡単な話で、まずだいいちにつまらなかったからです。
193ページ

だいいちは、たぶんみんなそう。

とにかく、本を読むことは当時の僕にとって何よりも重要でした。
言うまでもないことですが、世の中には教科書なんかよりずっとエキサイティングで、深い内容を持つ本がいっぱいあります。
そういう本のページを繰っていると、その内容が読む端から自分の血肉になっているという、ありありとした物理的な感触がありました。
系統的にではなく機械的に暗記したテクニカルな知識は、時間が経てば自然にこぼれ落ちて、どこかにーそう、知識の墓場みたいな薄暗いところにー吸い込まれて消えていきます。
194ページ

本を読むことは非常に大切。
本の面白さは養老先生、内田先生、村上春樹さんに教わりました。ありがとうございます。
僕は養老先生の本を手に取らなかったら内田先生の本にも出会っていなかったし、内田先生の本に出会わなければ村上春樹さんの本を手に取っていたかどうか。
海辺のカフカの衝撃は忘れません。

外国語に関して言うなら今だってやはり、本当に生きた外国語を身につけるためには、個人的に外国に出ていくしか方法がないみたいです。
ヨーロッパなんかに行くと、若い人たちはたいてい流暢に英語を話します。
本なんかも英語でどんどん読んでしまう(おかげで各国の出版社は自国語に訳された本が売れなくて困っているくらいです)。
でも日本の若い人たちの多くはしゃべるにせよ、読むにせよ、書くにせよ、今でもまだ生きた英語を使うことが苦手なようです。

これはやはり大きな問題だと僕は考えます。

このようないびつな教育システムをそのままに放置しておいて、一方で小学生のうちから英語を勉強させたって、そんなものはあまり役に立たないでしょう。
教育産業を儲けさせるだけです。

この国の教育システムは基本的に、個人の資質を柔軟に伸ばすことをあまり考慮していないんじゃないかと思えてなりません。

198ページ

小学生に英語の勉強をさせるのではなく、学びたい欲求を喚起させることが親の役目です。
そのためには自ら「学びたい」という思いを持つこと。
学びたい。

たとえば2011年3月の、福島の原子力発電所事故ですが、その報道を追っていると、「これは根本的には、日本の社会システムそのものによってもたらされた必然的災害(人災)なんじゃないか」という暗澹とした思いにとらわれることになります。
おそらくみなさんもおおむね同じような思いを抱いておられるのではないでしょうか。

原子力発電所の事故ために、数万の人々が住み慣れた故郷を追われ、そこに帰るめどさえ立たないという立場に追い込まれています。
本当に胸の痛むことです。
そのような状況をもたらしたものは、直接的に見れば、通常の想定を超えた自然災害であり、いくつか重なった不運な偶然です。

しかしそれがこのような致命的な悲劇の段階にまで押し進められたのは、僕が思うに現行システムの抱える構造的な欠陥のためであり、それが生み出したひずみのためです。
システム内における責任の不在であり、判断能力の欠落です。
他人の痛みを「想定」することのない、想像力を失った悪しき効率性です。
「経済効率が良い」というだけで、ほとんどその一点だけで、原子力発電が国策として有無を言わせず押し進めまれ、そこに潜在するリスクが(あるいは実際にいろんなかたちでちょくちょくと現実化してきたリスクが)意図的に人目から隠蔽されてきた。
要するにそのつけが今回我々に回ってきたわけです。
僕は原子力発電には反対の立場をとっていますが、もし信頼できる管理者によって注意深く管理され、しかるべき第三者機関によって運営が厳しく監視され、すべての情報が正確にパブリックに開示されていれば、そこにはある程度の話し合いの余地があるかもしれません。しかし原子力発電のような致命的な被害をもたらす可能性を持つ設備が、ひとつの国を滅ぼすかもしれない危険性をはらんだシステムが(実際にチェルノブイリ事故はソビエト連邦を崩壊させる一因となりまし)、「数値重視」「効率優先」的な体質を持つ営利企業によって運営されるとき、そして人間性に対するシンパシーを欠いた「機械暗記」「上意下達」的な完了組織がそれを「指導」「監視」するとき、そこには身の毛もよだつようなリスクが生まれます。
それは国土を汚し、自然をねじ曲げ、国民の身体を損ない、国家の信用を失墜させ、多くの人々から固有の生活環境を奪ってしまう結果をもたらすかもしれません。というか、それがまさたに実際に福島で起こったことなのです。

202ページ

僕は学校というシステム自体がガバナンスを目的として作られた統治システムだと思っています。
風評被害という言葉を用い現実を無かったものとし、見ない振りをする。
事故後の国民も政治家も同じような動きだな。と。
やっぱり我々が選挙で選んだんだと実感できる。
僕らの意志を変えない限りシステムは崩れない。

またそこには「自己治癒」的な意味合いもあったのではないかと思います。
なぜならあらゆる創作行為には多かれ少なかれ、自らを補正しようという意図が含まれているからです。
つまり自己を相対化することによって、つまり自分の魂を今あるものとは違ったフォームにあてはめていくことによって、生きる過程で避けがたく生じる様々な矛盾なり、ズレなり、歪みなりを解消していくーあるいは昇華していくーということです。
224ページ

書きながら気がつくことがあるのはその為なんですね。納得です。

「羊をめぐる冒険」を書き始める前に、僕はそれまで経営していた店を売却し、いわゆる専業作家になりました。当時はまだ文筆活動よりは、店からの収入の方が大きかったんですが、それを思い切って捨てることにしました。
生活そのものを、小説を書くことに集中させたかったからです。
自分の持っている時間をすべて小説にあてたかった。いくぶん大げさに言えば、後戻りできないように「橋を焼いた」わけです。248ページ

僕は橋を温存している。
ココが一番のポイントだと思う。
橋を焼くタイミングも重要だと思う。

ただ僕が作家になり、本を定期的に出版するようになって、ひとつ見に染みて学んだ教訓があります。
それは「何をどのように書いたたころで、結局はどこかで悪く言われるんだ」ということです。
252ページ

ほんとそうです。
ブログのコメントなんて酷いもんです。
ここまで歪めるんだな。って思います。
もうね。これは仕方が無い。

じゃあ好きなこと書こうって感じです。
悪く言うやつは無視です。
そういう人って同じHNで送ってくるので読む前にゴミ箱に捨てられる。
悪口は毎日書くけど、そういうところには頭が回らない。
やっぱりバカが多いんだな。って。

リック・ネルソンの後年の歌に『ガーデン・パーティー』とうのがあって、その中にこんな内容の歌詞があります。

もし全員を楽しませられないのなら
自分で楽しむしかないじゃないか
253ページ

そう。楽しいかどうか。
最終的に辿り着くのはここ。
自分がどう感じるか。
実感を大切にする。

考えてみれば、日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になったわけですから、逆に貶されてラッキーだったと言えるかも知れません。
どんな世界でもそうですが、「褒め殺し」くらい怖いものはありません。
281ページ

厳しい意見、筋の通った反論はよく読んで活かしています。

エイブラハム・リンカーンはこんな言葉を残しています。「多くの人を短いあいだ欺くことはできる。少数の人を長く欺くこともできる。しかし多くの人を長いあいだ欺くことはできない。」と。小説についても同じことが言えるだろうと僕は考えています。
時間によって証明されること、時間によってしか証明されないことが、この世界にはたくさんあります。
282ページ

いつかは証明されること自体が幸せなのかもしれない。

物語というのはもともと現実のメタファーとして存在するものですし、人々は変動する周囲の現実システムに追いつくために、あるいはそこから振り落とされないために、自らのうちなる場所に据えるべき新たな物語=新たなメタファー・システムを必要とします。
285ページ

自分の物語は思想を生み哲学を育てる。

僕は小説家ですので、人を観察するのが仕事です。
細かく観察し、とりあえずざっとプロセスはしますが判断はしません。
判断は本当にそれが必要になるときまで保留しておきます。

中略

できるだけこちらの気配を鎮め、相手の存在をそのままのかたちで受容しようとします。
とくにインタビューをしているときがそうです。
そういうときには、徹底的に集中して相手の言葉に耳を傾け、自分の意識のナガレみたいなものを殺してしまいます。
そういう切り替えができないと、本当に真剣に人の話を聞くことはできません。

最後にお断りしておきたいのだが、僕は単純に頭だけを使ってものを考えることが得意ではない人間である。
ロジカルな論考や、抽象的思考にあまり向かない。
文章を書くことによってしか、順序立ててものを考えられない。フィジカルに手を動かして文章を書き、それを何度も何度も読み返し、細かく書き改めることによってようやく、自分の頭の中にあることを人並みに整理し、把握していくことができる。そのようなわけで僕は歳月をかけて、本書に収められたこれらの文章を書きためることによって、またそれに何度も手を入れることによって、小説家である僕自信について、またそれに何度も手を入れることによって、小説家である僕自身について、また自分が小説家であることについて、あらためて系統的に思考し、それなりに俯瞰することができたように思う。

そのような、ある意味では身勝手で個人的な文章―メッセージというよりはむしろ思惟の私的プロセスのようなものかもしれない―が、読者のみなさんのためにどれほどお役に立てるかは、僕自信にもよくわからない。わずかなりとも、何か現実のお役に立てればとても嬉しいのだが。
300ページ

村上春樹を必要とする人が多いという理由が分かる。

おススメの一冊です。

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