1997年に発売されたCHROME HEARTS(クロムハーツ)写真集。
その巻末を飾ったRichard Stark(リチャード・スターク)のインタビューを掲載します。
彼の言葉はCHROME HEARTSを語る上では欠かせません。
Richard Starkから発せられるメッセージからCHROME HEARTSに伏流する魂を感じ取って頂けたらと思います。
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男の手は持ち主の人生を無言のうちに語る。その手は、年輪を重ねた木の瘤のようにゴツゴツして、ふしくれだっていた。
それは決して醜いのではなく、何か崇高な気配を漂わせた手だった。
ロサンゼルス市内にある倉庫街。通るものといえば地響きのようなエンジン音をたて、巨大な煙を吐いて進むバカでかいトラック程度。
広い通りには人の影は見えない。そんなエリアに、クロムハーツの工場兼オフィスは建っている。
それはまるで、時代から逃れるために作られた要塞のようであった。
私たちは、クロムハーツの創始者、リチャード・スタークという男のパブリックなイメージには似つかわしくない、午前9時30分という約束の時間に少しとまどいながら、厳重に警備された駐車場に車を止め、彼のオフィスに向かった。
ふたつある入口のインターホンを押すと、愛想のない、でもとびきり魅力的な赤い髪の女が現れ、鉄製の扉を開けてくれた。
それはまるで、黒光りした独房の入口と似ている。そして、だだっ広い建物の2Fに通されると、ダークなフローリングの真ん中にある、黒い革張りのひじ掛けイスに腰を下ろしたリチャードがいた。
という話しからインタビューは始まった。
ずっとお聞きしたいと思っていたことなのですが、貴方の作るものはなぜ、こんなにも人を魅了する輝きを持っているのだと思いますか。
質問を変えましょう。私はクロムハーツのような強くて新しいブランドが、アメリカに出現するとは思いませんでした。
それについて、どう思われますか。
確かに、リーバイスは優れたブランドですが、その製品が持っている“意味”というものが全く違うと思うんですよ。
貴方の製品には、スピリチュアルな意味がたくさん詰まっているような気がします。
それはまるで、スペイン・トレドの大司教が纏った法衣のような。身につけると良くわかるんですけど。
クロムハーツを作ることは、ただのモノ作りじゃないからね。
ここで働くスタッフのひとりひとりが、自分の与えられた役割を精一杯果たすこと。
つまり、自分のポケットにあるコインをそれぞれ出し合って、何かのために寄付をするような感じだよ。 そういう作業において、僕らはスピリチュアルかもしれない。
でも、忘れちゃならないのは、僕らはただの人間だということなんだ。
クロムハーツを作るきっかけはなんだったのですか。
ましてや、大企業の金持ちになりたかった訳じゃない。
ただ、自分が着るためのレザーバイクウエアを、もっともっと巧く作ってやろうと思って、続けてきただけなんだ。
これからもバイクウエアを作り続けていくんですか。
でも、今どんどんインスピレーションを得ているから、今後は斬新なものも世の中に送り出していくと思うよ。
あの車体が総シルバーのトレーラーも、新しい試みのひとつさ。
あんなもの作るのは初めてだし、どう作るかもわからないから楽しいんだ。
何かにチャレンジするってことは、とても大変で苦労も多いけど、その張り詰めた空気とか手探りの感覚がとてもエキサイティングなんだよ。
どうして、トレーラーを作ることになったのですか。
遊牧民のようにね。
アメリカだと、旅してまわるのはひとつのライフスタイルでもあるし。
それに、僕の友達がクロムハーツ仕様のトレーラーを作ってくれって言い出したんだ。で、やってみることになって。
貴方から、とても神秘的で、しかも隙のないオーラのようなものを感じる反面、安心感を与えてくれるような“暖かみ”も感じます。
しかし、貴方の作る製品は、何百年と受け継がれているヨーロッパの紋章のように孤高で気高いですよね。
それに、1日に何千何万という商品を大量に作り出さなくてはならないなんて、大企業のような責任を果たす気などさらさらない。
そんなことをするために始めたわけじゃないし。
この場所は、常に僕がくつろげる家でなくてはならないんだ。それで、答えになってるかな?
ここで働いてる人は、ファミリーだって言えますか。
ここの工房はまるで’70年代のアーティスト・ビレッジのようですね。
このスタンスをこのまま続けていくんですか。
ただ、技術はより熟練されていくハズだ。僕らはただの人間だから努力するだけだよ。
最初の質問に戻ります。どうして、ここまで熱狂的な支持を受けたのだと思いますか。
仏像みたいにね(笑) クロムハーツは、身につけていて心地いいし、どんなものにも左右されないんだ。
僕はいつでもこの格好でいる。
ハリウッドの超一流レストランに行くときも、クロムハーツのレザージャケットにレザーパンツだよ。
バイクを降りてそのまま店に足を踏み入れてもその場の雰囲気を壊さないし、自然に溶け込むことができる。
それは、どこに行ってもどんな風景でも一緒さ。
たとえそれが戦場であっても。 それくらいスマートで、頑丈、つまりパワフルなクロージングなんだ。
僕は、クロムハーツをロレックスの時計のように、中世の騎士が身につける装飾品のように、クラシックなものだと認識している。
貴方はただの人間だと言いますが、やはり、神に一種の才能を与えられた選ばれし人という感じがしますが。
今のは冗談としても、確かに神に僕はチャンスを与えてくれたと思う。
僕は、デザインとかアートとか、誰からも教わったことはないし、もともとは大工だったんだ。
でも、今まで、ありとあらゆるすべてのことを、自分ひとりでやってきた。
何もかもね。
つまり、自分で何もかもやらなければいけないというのも、ひとつのチャンスなんだよ。
バイクはクロムハーツに影響を与えていますか。
始まりが、自分がバイクを乗り回すときに快適なレザーウエアを作ったのがモトだからね。
それを欲しがった奴らがあまりにも多いんで本格的に作り始めたんだ。
今でもよく覚えているんだけど、最初のレザーパンツを作ったとき、僕はそれが世界で一番はき心地のいいパンツだと思った。
だけど、今はいてるパンツは改良や装飾が加えられて、前のものよりずっといい。
僕らはモノを作り続けていく限り、過去に作ったものよりも、より良いものを作り出していかなくてはならないんだ。
それをやめてしまったら、モノを作る意味なんてありはしないからね。
それだけに、クロムハーツで働くことは自分を成長さえるチャンスだと思う。
私たちファンは、クロムハーツとどう付き合っていけばいいのでしょうか。
そうすれば、無料で直す。
確かにクロムハーツは値段が高いけど、それだけの値段を払っても10年経てば、それが高くないことに気付くハズさ。
それから“お下がり”って最近じゃあまり聞かれなくなったけど、子供用のパンツなんか代々、子供たちに譲っていくっていうはき方をしてほしい。
それが、継承っていうものだと思うし、そのなかのひとつにクロムハーツがあれば幸せだよ。
ふだんの1日の生活を教えてください。
そして20分くらいベッドでゆっくり過ごす。
それから、その日の気分でシャワーを浴びたり、浴びなかったり。
そして、レザーを羽織ってバイクにまたがり仕事場に向かう。
遅くても6時までには仕事入りするのが好きなんだ。みんなのくる前のオフィスが。
オフィスのドアを最初に開けるのは貴方なのですね。
LAとNYじゃ時差があるから、たいていみんな驚く。
NYの奴に仕事を頼んだりするだろう?そうすると、向こうには時差があるから余裕かましてたりするんだ。
そんなとき、『どう、進んでる?』なんて聞くと、あっちは慌てふためくのさ。そうすると、仕事が早く片付く。(笑)
他のスタッフは何時頃出社するのですか。
僕は8時頃までにひと仕事終えて、娘を学校まで送りに行く。
その後、11時頃まで仕事をする。
それからランチですか。
夜、スタッフが遅くまで働いているようなときは、僕がみんなにごちそうをすることが多いよ。
ローリー(奥さん)が作ることもあるけど。
たまに、娘がみんなにクッキーを焼いてくれることもあるんだ。 でも、僕は家族との夕食を心がけている。
野菜やフルーツをたくさん食べるってことは、ベジタリアンなのですか。
えっ、モチって、あの日本のお餅ですか。
どこでモチなんて食べたのですか。
一発で好きになったね。
焼いたモチを何もつけずに食べるのが好きなんだ。
京都に行った時も、モチを食べた。
道端で売っているやつ。うまかったよ。
今日は何時に起きたんですか。
ビーチの方に住んでる友達のところに泊まっていたんだけど、車に乗り込もうとしたら バッテリーがあがっちゃって、朝からジャンプスタート(押しがけ)するハメになっちゃったんだ。
たぶん近所中の人が起きちまっただろうな。
ビーチの方っていうのは。
友達は多いのですか。
お気に入りのアーティストは。
ずいぶん内向的な音楽が好きなんですね。どんなときに音楽を聴くんですか。
バイクは何に乗っているんですか。
車は。
’53シボレー・ピックアップトラックに、’56フォードF100ピックアップ、 ’59シボレーエルカミノ、それと’68シボレーSS396エルカミノを持っている。
アメ車がこの世に生み出すパワー、サウンド、トルク、スタイルどれをとってもたまらない魅力だね。
会社を始めたときのメンバーはまだ残っていますか。
クロムハーツのベースは、ウエア、アクセサリー、ジュエリー、ベルト、バッグ、ファーニチャー(家具)だったんだ。
つまり、素材的にいうとレザー、メタル、ウッドが基本を成していた。
今はどんなものを作りたいと思っていますか。
例えば、部屋とか。
部屋全体をクロムハーツな雰囲気でコーディネートして、自分を表現できたらと思う。 だから、NYのショップも自分が納得いくように、すべて指揮して造ったんだ。
もし、次にオープンするなら日本かLAだな。
LAのショップはふたつのロケーションで迷っているんだ。 あと、どこかにファーム(農場)を作りたいと思っている。
えっ、ファームってことは、農業をやりたいんですか。
出身はどこなんですか。
子供の頃は何が得意だったんですか。
アウトドアは得意だったなぁ。
バックパックにいろいろ詰め込んで、キャンプにもよく行った。
子供の頃は墓場で遊ぶのが好きだったんだ。
どうしてかって?僕の家の周りには、墓場だらけだったんだ。その向こうに森が広がっているって感じ。
小さな町だったけど、墓場を越えれば農場に行くこともできた。
そこには、牛や馬がいっぱいいたよ。
でも、とにかく遊び場は墓場だった。ほとんどの時間を墓場で費やした。
冬は、ビンビンに寒いから墓場の池が凍りつくんだよ。
よく、そこで遊んだよ。
若いときはヒッピーに憧れましたか。
実際はよくわからない。ヒッピーは好きだけど、僕はヒッピーじゃない。
NYの近くに住んでいたのに、なぜ、NYじゃなくてLAに来たんですか。
ということは、NYの女の子はチェックし終わったのですね。
それが、ローリーって訳。彼女は、マリブのサーファーだったんだ。
ローリーに会ったいきさつは。
ドラッグですか。
止めたのはローリーに会ってからですか。
実はつい最近のことなんだ。
本当はドラッグをやっていたなんて、わざわざ発表しなくてもいいんだけど、 僕がドラッグをやったことがないなんて言ったって、誰も信じないだろう?(笑)
でも、きっぱり足を洗えてラッキーだったよ。
日本のファンのなかには、貴方のことを神様のように思っている人もいます。
きっと、あなたの素顔を知りたがっていると思いますが。
ローリーに初めて会ったとき、何か特別な印象を持ちましたか。
しばらくして、黒髪の方が振り返って僕を見た。
もう一度僕に振り返ったとき、彼女は“I like your leather”って言ったんだよ。
僕は“Thank you.I made it!”って答えたんだ。ちょっと話して別れたんだけど、もう僕のものって感じだったね。
僕のトレーラーに居候してた友達にこう言った。
『いい女に会ったんだ。彼女は絶対にオレのものだ。彼女に男がいたって関係ない。そんなもの、すぐに彼女のいい思い出にしてみせる。もし、彼女にダンナがいたって、時間は余計にかかるかもしれないけど、それは同じことさ』って。
でも、どうやって再会したのですか。
でも、そいつが素直に連絡先を教えないんだよ。
お前にはもったいないとか言って(笑)。
でも、ローリーもまたは同一人物に『リチャードって知ってる?』って聞いたんで、会うことができたんだ。
日本へは、何回くらい来日されているのですか。
でも、一番インスパイアされたのは、日本人のオーガナイズされた部分だね。
日本で一緒に仕事している人たちは、半端なくキチンとしているんだ。
留守電にメッセージを残せば、すぐに返事が来るし、ファックスもすぐに戻ってくる。
これができるのは、日本人だけだよ。あと、驚いたのが携帯電話がどこでも通じることだね。
ここも(クロムハーツ本社)、かなり組織だっているように感じますが。
前回も京都でハーレーに乗る機会があったんだけど、京都の街並みにハーレーは似合わないね。
ハーレーに乗ってお寺を2軒廻って、モチを食べた(笑)。そういえば、日本のキュウリも好きだよ。
キュウリ?
そのまま、かじりつくのが好きなんだ。もともと、キュウリは好物なんだけどね。
他には日本で何か食べましたか。
そこで、冷たいものから温かいものまでたくさん出てきたけど、実際何を食べたかよくわからなかった(笑)
日本で自由な時間は持てましたか。
でも大阪で日本式のタトゥーを入れた。電気じゃなくて昔ながらの方法で竹を使うやつ。6時間くらいかな。
でも、まだ完成じゃないから、また行かないといけないんだ。
色も入れたんですか。
日本で印象に残っていることはありますか。
あと、子供たちのおそろいの制服もね。お寺で脱いだ服を揃えているのは新鮮だった。
クロムハーツの名前の由来について教えてください。
それを着ているうちに、友達や知らない人にまで同じものを作って欲しい、と声をかけられるようになって発展していった。
本格的に始めたのは、友人が監督したB級ホラーコメディー映画の衣装をやったときなんだ。
その映画のもとのタイトルが“クロムハーツ”だった。結局、そのタイトルにはならなかったんだけど、すごく気に入って使ったんだ。
クロムっていうのは、バイクに使われている金属のこと。
バイカーたちのあいだで、“CHROME DON’T GET YOU HOME”っていう言葉があって、これはバイクをピカピカにしていたって、よく走る訳じゃないっていう皮肉の文句なんだ。
よく、走り始めのひよっ子をからかうために使うんだけど。
僕はこれをもじって、“CHROME DON’T GET YOU HOME,BUT CHROME HEARTS WILL GET YOU SOMEWHERE THAT MAKES YOU FEEL LIKE YOU’RE HOME
(クロムハーツは自分が自分だと思える場所まで連れて行ってくれる) ”をキャッチフレーズにしたんだ。
クロムハーツのコンセプトを端的に表した、素晴らしい言葉ですね。
“ 自分が自分だと思える”っていうのは、どんなときでも大事ですものね。
他に衣装を担当した有名人はいるのですか。
他には、ザ・カルト、エアロスミス、ビリー・アイドル、モトリークルー、そして、みんなも知っている通り、レニー・クラビッツの衣装をやった。
そのほか、個人的に会って衣装を担当した人は、本当、数えきれないよ。
マドンナもファンだということを聞きましたが。
貴方の人生で最も大切なものは。
新しいものにどんどん挑戦していますけど、クロムハーツはどうなっていくのでしょうか。
ひとつだけ、ジャケットを挙げろと言われれば真っ先にコレを挙げるだろう。
もし、売ってくれと誰かに言われたら、こう言うね。『僕が走った1マイルにつき1ドル。
僕は、トータル145,000マイル走ったから、145,000ドル(約1,800万円)だ』とね。
つまり、売りたくないんですね。
次に作りたいものは。
花瓶からキャンドル、家具、ドアノブ、それに鏡とガラス製品、鍵穴まで全部やりたい。
遊びだと、車とかトレーラーを作ることかな。
ウエア、リング、バックルとかの定番モノは、これからも作り続けるだろう。
今だと、平均50アイテムは同時進行で作っているんだ。
作りたいもの、作れるものはエンドレスだね。
運命の奥さんとの出逢いによって何か変わりましたか。
それは、誰にでもあてはまる真実なんだ。
でも、誰かがそばにいてくれるってことは、大きな力を与えてくれると思う。
ローリーに出逢う前の自分と、出逢った後の自分、どちらも自分だからね。
人は、成長する生き物なんだ。
でも、僕は子供の心をなくしたくはない。
くそジジイになってもね。
そのとき貰ったプレゼントが、日本のポルノ雑誌。それが、超ワイルドで最高だった。
ここの2Fのポルノ便所に貼ってあるヌード写真みたいなやつだよ(注:トイレの壁という壁が女性のヌード写真で埋まっている)
日本ではまだ、局部は解禁じゃないのを知っていましたか。
こういうのは本来、アンダーグラウンドなものだから(笑)。
クロムハーツもある程度は有名だけど、リーバイスやハインツのように家族中の誰もが知っているブランドって訳じゃない。
ある意味で自分たちはアンダーグラウンドだと思うんだ。
だから、比較するんだったらそういうメーカーより、エルメスと比べて欲しいと思っている。
エルメスは新しい商品をどんどん作り出しているけど、それらは全部、クラシックでコンサバティブだよね。
クロムハーツも、エルメスみたいに200年くらい続いて欲しいね。
旅はたくさんしたんですか。
ローリーが妊娠したことに気付いたとき、僕らは2,000マイルのツーリングの途中で、サウス・ダコタにいたんだ。
妊娠3ヵ月ぐらいかな。それでも、旅は続けたんだ。あと10日間ほどあった予定の通りにね。
娘はバイクの上でアツくなってたと思うな。(笑)
将来について何かイメージしていることはありますか。
人生を楽しく生きることしか考えてないよ。
そのために、一生懸命働いて、風を切ってバイクを走らせて、快楽の限りを尽くすんだ。
世界中の道路をバイクで駆け抜けてみたいと思っている。
例えば、誰かがクロムハーツを辞めてどこかに移りたい、どこか別の場所で勉強したい、と言い出したら、僕にとってすごく必要な人間でも引き留めたりはしない。
その人のチャンスを潰したくないからね。
何度も言うようだけど、僕と関わったすべての人にハッピーになって欲しいんだよ。
最後に、日本の読者に何かメッセージお願いします。
パーソナル・ヒストリーみたいなものをまとめてみるよ。
もし、そうしていただけるなら、ぜひお願いします。
ぜひ、よろしくお願いします。お忙しいところ、インタビューに答えてくださり、本当にありがとうございました。
どうでしたか。
これがCHROME HEARTSです。
リチャード・スタークが創ったCHROME HEARTSの世界観が垣間見えると思います。
CHROME HEARTSが高額な理由。
受け継いでいけるものとして一生モノと呼ばれた所以もわかったでしょう。
このインタビューはクロムハーツの素晴らしいフォトグラフと共にクロムハーツ写真集に掲載されています。
クロムハーツというブランドを語るには欠かせません。
ぜひ手に入れて下さい。