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ブランドの価値は価格で決まる。安価なものに信用は生まれない。

投稿日:2014年5月17日 更新日:

ブランドの価値

世の中には様々な価値観があります。

同じ物でも人によって価値というのは違います。

相対的です。

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自分が「凄く良い!」と思っているものでも他の人からすれば「なんだコレ」と思う人もいる。

また、現在何が必要か?によって欲しい物の順位は上下します。

商品の価値というのは各人の状況・状態で変動します。

使用価値

物の持つさまざまなニーズを満たすことができる有用性。

使用価値については、ニーズを満たすことができる有用性と聞くと何だか難しく聴こえるかもしれませんが

お腹が空いて死にそうってときに、「ご飯」と「ダイヤモンド」どちらが必要かってことです。

ここで「ダイヤモンドやんけ」と言ってしまう人は使用価値を基準として見ていないからです。

交換価値

ある商品の使用価値がその他の商品の使用価値と交換される場合の比率。

お米とダイヤモンドの例に取ると、なぜダイヤモンドは米よりも交換価値が高くなるのかというと、完成品になるまでの手間「労働」の量が多いからです。

先ほどの「ご飯」と「ダイヤモンド」の例でダイヤを選んだ人は空腹を我慢してダイヤを 得ればパンなんていくらでも手に入るという交換価値を見越して選択したのです。

このように商品の中には相対性のある価値が存在するのです。

ただ、現在の世界に置いて私たちの「欲しい」という気持をかきたてるのは、商品の「使用価値」でも「交換価値」でもない。

象徴価値です。

後期資本主義社会では象徴価値に於いて私たちは消費を繰り返します。

象徴価値

あたかも所有者自身の価値を表現するが如く存在する物の価値。

ジャンボードリヤールが大量消費時代を迎え、商品が使用価値としてだけでなく、記号として立ち現れることを説いた。

商品の価値観。

内田樹先生の言葉を借りるならば、所有者の所属階層を指示する記号的機能をもつ。

ブランドとは(使用価値でも交換価値でもなく)、それを持つことが所有者の社会的位階の指標となるような記号的示差性(象徴価値)を主たる価値とする商品のことである。

このボードリヤールのブランド論が80年代からの「定説」である。

後期資本主義社会では、市場を行き来する商品の90%は使用価値でも交換価値でもなく、象徴価値に基づいて値付けされている。

象徴価値とは平たく言えば「アイデンティティ指示機能」のことです。

どういう商品を持っていると、所有者が「何もの」であるかがわかる。と いうもの。

日本に於いて、ブランド品はアイデンティティの一端を担っています。

ブランド品で着飾ることは他人に自分をどう見せたいかという気持ちからであり、ブランドを自身に投影させているのです。

そのブランドを着ける人であったり、ブランドのストーリーであったり、ブランドの背景に在るものとを統合し投影することによってアイデンティティを形成するのではないかと思います。

ただ、ジャンボードリヤールが解いているブランドの象徴価値はここ日本に於いては意味合いが少し違ってきます。

日本では階級社会じゃないと表面上はなっていますので、誰が何を身に着けようが大した問題はありません。

だけど、国が違えば大問題。下層階級の人間がブランド品を見につけることは罪に値します。

ブランドの適切な選択と装着をなしうる能力はヨーロッパにおいてはきわだって有徴的な文化資本の一つである。

それゆえそれは階層差を表示する記号として機能しうる。

それに違反すること(下層階層の人間が背伸びしてブランド品を身につけること)は彼の地では学歴詐称に類する「ルール違反」とみなされる。

しかし、本邦においてブランド品にそのような強い差別化機能はない。

ブランド品を所持する日本人の主たる目的は「所属階層」や「文化資本」というようなハードな「属性」を示すことではなく、「流行感度」のようなソフトであいまいな「個性」を示すことにある。

わが国では、ロレックスをはめていても、エルメスのバッグをもっていても、アルマーニのスーツを着ていても、それは「一時的に可処分所得が潤沢なので、『おしゃれ』に気を使う程度の余裕がある」という以上の社会的記号としては機能しない。

出身階層の別やそれ以外の(芸術的感性とか文学的素養とかの)文化資本の多寡をブランド所有が示すことはない。

ぜんぜん、ない。

むしろ、上記三ブランドを揃えてにぎにぎしく着用している人間などは「お育ちの悪い」集団にカウントされるリスクを負っている。

だから、「ブランド」という語の語源的意味に即していえば、日本では「ブラ ンド品」はほとんど「ブランド」として機能していないのである。

ルイ・ヴィトンのバッグの50%は日本市場で買われている。

日本は世界人口の2%である。

つまり(意味のない平均だが)日本では、世界のそれ以外の地域で「ルイ・ヴィトン所持者」に出合う25倍の確率でヴィトン所持者に行き会うことになる。

内田樹の研究室より引用しました。

ブランド品の価格設定についてですが「ブランド品」はほとんど「ブランド」として機能していない日本においては格差を 示す指標としての「価格」しかない。

グローバリズムに於いては尚更数字は最重視されます。

数字とはいわば共通言語ともいえるのです。

価格の設定を世界で共通させることでブランドとしての価値を保つ。

それがブランドの価値観になっている。

安心感と信用

あなたが大好きなブランドが安価なら買いますか??

高額な商品に安心感を抱いていませんか??

価格には相応の信用も付加されます。

100円ショップの商品に対して信用なんてありません。

商品の出来が悪くたって文句も言いません。

100円ショッ プで購入したシャーペンの芯が折れやすくても、仕方がない100円だもんで済ませる。

商品価格に信用はビルトインされているのです。

世の中の取引が等価交換と呼ばれる所以です。

だから日本に於いてはブランド品は高額な方がいいのです。

ただ、それが売れなければブランドは廃れていく。

その価格で売れるかどうか。

ブランド価値を保つために価格を決めるけど魅力を醸し出せないブランドが

価格設定に失敗すると閑古鳥を呼ぶことになる。

これからの市場に於いて価格の設定が一番重要なギミックになると思います。

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