CHROME HEARTSとSKOOKUM、まだ寒さが合った先週に撮ったもの。
この組み合わせはよくやっていてアメリカモノ同士で相性が良いのです。
こちらのSKOOKUMももう10年以上羽織っています。
大阪は心斎橋にアメリカ村のアメカジショップにふらっと立ち寄ったら衝動買いしてしまった。
ジッパータイプの細身なのでシルエットも申し分ない。
近頃のSKOOKUMのスタジャンはフロントにボタンを使ったものがほとんどじゃないでしょうか。
よく羽織るアウターです。
スポンサーリンク
SKOOKUMを着たならばボトムはCHROME HEARTSのファティーグ。
CHROME HEARTSのファティーグは穿く度に「もう一本買っておけば良かった」と思います。
フレア二―の切り返しはこれより以後に廃止されているし、それを知ってか当時の担当スタッフは既に1本目と、また新たな1本を手に入れていた(笑)
こういうのを見るとスタッフは得だなって思ってしまいます。
CHROME HEARTSのショップで働く特権ですよね。
以前もUAからアナログのGショックが発売されたときも、スタッフが所有してたのに顧客は手に入れられなかったという摩訶不思議な現象が度々ありました。
でも取り合いするぐらいのアイテムを生み出せるっていうのはブランドの強みです。
話はCHROME HEARTSに戻りますが、フレアニーの廃止ってビッグニュースでしたよね。
CHROME HEARTSのボトム全般から廃止されるって知った時は驚きでした。生産性を上げるって事以外の理由が見当たらない。
利益を上げてこその企業ですから、それを責めようとは思いませんがフレアニーはボトムには欲しいデザインです。
「利益だけじゃないんだ」というのであれば、膝にフレアニーの切り返しが「ある」モデルと「ない」モデルの両方を売ればいい。
デザイン面ではフレアニーが無いパンツも有りだと思います。
フレアニーがないブラックチノは大人のカジュアルの貫録があります。
フレアニーは復活させてほしいデザインの一つです。
そんなボトムには、愛用のケルティックローラーチェーン。
【LINK】クロムハーツ(Chrome・Hearts)ウォレットチェーン・ケルティックローラー
CHROME HEARTSのチェーンはデザインが秀逸で重量感も並みじゃありません。
ウォレットチェーンに関しては賛否両論ありますが、CHROME HEARTSのチェーンは別次元です。
僕の服装を見れば分かると思いますが・・・
アメリカ大好き!って感じですね(笑)
全身 made in USAです。
狙ってそうなったというよりも、気に入ったものを買っていたら自然にアメリカモノが集まっていたというだけの話です。
アメリカの大きさが詰まったスタイルが大好きなのさ。
心が大きい。精神の大きさがアメリカにはある。
それを物語るエピソードが戦後の日本にある。
1945年9月2日午前9時、降伏文書の署名式が始まり、9時20分、マッカーサー元帥は署名式の終了を告げました。当初日本政府は、できれば米軍を東京に入れたくない、横浜ですべての交渉をしたいと思っておりました。まだ占領の怖さを甘く見ていたのです。
外務官僚の鈴木九萬が公使となり、米軍との折衝にあたっていました。
同じ9月2日の午後4時、参謀次長マーシャル少将が鈴木公使に自分のところに来るよう求めます。
ここでマーシャル少将はおどろくべき命令を鈴木公使にのべたのです。
「実は明朝10時に3カ条の布告(=三布告)を交付する予定だ。文書を事前に渡すので、公表の手続きを至急とるように」
この三布告にはすごい内容が書かれてありました。
布告第一:日本全域の住民は、連合国最高司令官の軍事管理のもとにおく。行政、立法、司法のすべての機能は最高司令官の権力のもとに行使される。英語を公用語とする。
布告第二:米側に対する違反は米国の軍事裁判で処罰する。
布告第三:米国軍票を法定通貨とする。
お金は米軍が印刷した紙幣(軍票)、裁判権の米軍、公用語は英語ですから、ほとんど軍事植民地です。
マーシャル少将は鈴木公使に「米国は三億円に相当する軍票B円を各部隊に配付してある」といって、十銭から百円までの七種類の見本を示しました。
米国製の紙幣を翌日から使う準備を整えていたのです。
(鈴木九萬監修『日本外交史26 終戦から講和まで』鹿島研究所出版会)この情報はただちに横浜から東京に伝えられました。
日本全国の住民を「連合国最高司令官の軍事管理のもとにおく」ということですから、軍による直接支配(直接軍政)そのものです。
日本政府はもちろん強いショックをうけます。
緊急の閣議が夜遅く開かれました。結局、終戦連絡事務局の岡崎勝男長官が交渉のため、横浜に送られることになります。
このときの模様を岡崎自身が本のなかに書いています。
「東久邇宮〔首相〕から『岡崎、ご苦労だけれども、すぐ行ってもらいたい』というツルのひと声で、はなはだ自信はなかったけれども、横浜に行かざるをえなくなった。
司令部のある横浜税関についたのは一二時もかなりすぎた深夜であった。(略)
それでサザーランド参謀総長に会おうと宿舎のニューグランドホテルに出かけた。
宿帳で調べると三百十何号室に参謀長がいるらしい。
寝室の蚊帳のなかにひとり寝ている。これが参謀長にちがいないと思い、寝室に入ってその人を起こした。
眠そうな様子をしているのを無理に引っ張りだして、応接間につれてきて話をはじめると、その男が『おまえはだれに話しているのだ』という。
よくみると参謀長ではない。
まったく別の人間だった。
その男は眠いせいもあってえらく怒った。
『日本人のくせに、こんな真夜中に起こして、ピストルで撃たれても仕方がない』とおどかされた。
だがいろいろ事情を話すとそこはアメリカ人で、今度は人の迷惑もかまわずいたるところに電話をかけ、結局マーシャル少将がつかまった。
そしてマーシャル少将は布告の時間を延期することを約束してくれた。
東京に戻ったのは午前五時である。重光さんは寝ないで私の帰りを待っていてくれた」
(霞関会『劇的外交』成甲書房)
孫崎享さんの著書「戦後史の正体」から引用させていただきました。
長文の引用をお読み頂きありがとうございました。
このエピソードを読むとアメリカ人の精神的な大きさが窺い知ることができます。
いい意味でもその逆でも。
これはモノ作りに於いても反映されていますよね。
アメリカの大きさ、精神的な大きさ、それを感じられたから私たちはクロムハーツに魅了されました。
その精神は現在のクロムハーツにも伏流しています。
Richardがいる限りに於いてはCHROME HEARTSは失速しないでしょう。
精神の柱が倒れない限り、クロムハーツは今後も輝き続けるでしょう。