卓球

壊す勇気─卓球が教えてくれた成長と変化の本質

中学1年生、誰にも頼らずに選んだ「卓球」

中学に入学した春、長女は誰に勧められるでもなく、ひとりで卓球部に入部しました。

周りの子たちは友人を誘って入部をしていたのですが、長女は単独での入部でした。

それまで、家族や友人の中で卓球をしていた人はいません。

まるで突然、心の奥から「やってみたい」という衝動が湧いたかのようでした。

中学の入部当初に練習を見学したのですが、ボールをポーンポーンと打ち合う程度。

親の気持ちとしては、段を保有していた算盤の方に力を入れてほしいという思いもありました。

しかし、長女は自分で選んだ道を迷わずに進んでいったのです。

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初めての大会で感じた「面白さ」

コロナ禍の影響で、長女の試合を見に行けなかった最初の1年間。

中学2年のとき、ようやく観戦した初めての試合で、私は驚きました。

一球一球に全力を注ぐ真剣な姿と。

点を取っても、取られても、表情を崩さずに次の構えに入る集中力。

その瞬間、私の中で「卓球」というスポーツが「観るもの」から「感じるもの」へ変わりました。

顧問の先生の指導も素晴らしく、生徒たちはみるみる成長。

大会では、長女の学校が上位をほぼ独占するほどの強豪校になっていました。

そして中学3年の市内大会では、長女は強者の同級生とクラブチームに所属していた後輩を破って初優勝を果たしました。

高校での壁─ラバーを変える勇気

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「高校でも卓球がしたい」

その思いから、長女は部活動が盛んな高校へ進学します。

1年生で早々にレギュラー入りしました。

当初は2年生なども倒してトーナメントを勝ち進んでいました。

しかし、ここで最初の壁に直面します。

使用していた「ツブ高」という守備的なラバーは、相手のミスを誘うスタイル。

中学では通用していましたが、高校の上位クラスになると勝ちきれない。

試合に負けるたび、悔しさを噛みしめながらも、

「どうすればもっと強くなれるのか」を自分なりに考えるようになりました。

私も卓球に関しては素人なので、自分なりにラケットの特性などを調べていました。

顧問の先生も同じように感じていたようで、、娘のラバーの変更を命じました。

そして「ツブ高」から「表ソフト」ラバーへと変更する決断をします。

それは、いままで積み上げてきた感覚を一度壊すということ。

つまり、“変化を受け入れる勇気”そのものでした。

壁を越えるために──新しい場所へ

ラバーを変えてからの数ヶ月。

これまで勝っていた相手に負けるようになりました。

悔しさと焦燥感。

でも、それでも彼女は諦めなかった。

顧問の先生の紹介で、地元の卓球クラブに通い始めています。

部活が終わってから19時〜22時まで、週に2回。

練習には私も付き合っています。

練習後は疲れ果てていても、どこか充実した表情を浮かべています。

私も同行するようになり、卓球というスポーツを通して「努力」「変化」「継続」の本質を見せてもらっている気がします。

変化こそ、成長の証

長女を見ていると、

「変わること」への恐れよりも「変わらないこと」への危機感の方が強い。

環境が変わり、ラバーが変わり、

それでもラケットを握り続ける姿に、言葉では説明できない強さを感じます。

努力とは、才能の最低値を上げる行為だと岡田斗司夫さんは言いました。

どういう事かというと、努力で競うのは他者ではなく昨日の自分なのです。

努力をすれば実力は必ず伸びます。

しかし、才能ある他者も同じく努力している。

だから、努力の先に必ず勝利があるとは限りません。

まさに彼女はその言葉を体現している。

努力は、誰かに見せるためのものではない。

昨日の自分を少しだけ超えるために、今日もラケットを握る。

その背中を見ていると、人生においても「勝つこと」より「続けること」の方が、どれほど尊く、難しいことかを教えられるのです。

【まとめ】

長女の卓球から学んだのは、

“成長とは、変化を受け入れる勇気の中にある”ということ。

勝てない日も、負けた日も、そのすべてが「次へ進むための道のり」だと知った今、私は心からこの言葉を信じています。

努力は才能を超える。

その証明をするために、長女は今も続けています。

 

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さなすけ

家族、オカメインコ(天国へ逝く)肉厚レザーのクロムハーツを愛し、筋トレを嗜む。 嫌いな言葉「実質0円」「知らんけど」

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