CHROME HEARTSの創始者であるRichard Stark(リチャード・スターク)インタビュー記事第二弾はそのCHROME HEARTSが忌み嫌うストリート系マガジンからです。
CHROME HEARTS MAGAZINEvol1では「くそったれ」と称してストリート系マガジンにFUCK YOUと中指を立てています。
ですが、このインタビュー記事は中身のある記事だし、本物の声を一般読者に届けようとしている姿勢は「良い物を作ろう」とする編集者の意気込みをも感じます。
当時はまだまだ日本でもユナイテッドアローズの一角でしか取り扱っていなかったCHROME HEARTSでしたから、リチャードの口から「日本のストアも決定している」と発せられたときは驚きでした。
これ、絶対言っちゃいけない機密事項だったでしょうね(笑)
リチャード自身が「シークレットさ」といってるけど、そのまま掲載してるし(笑)
この辺りは緩めのストリートマガジンだから成せる業です。
UAあたりが取り仕切っていたら検閲してカットされていたでしょう。
だからこそ、リチャードの本音といった部分が大きく反映されているインタビュー記事だと思います。
当時としても聴くことが困難だったであろうRichard(リチャード)の声を届けてくれたストリート系マガジンに感謝すると共に、これからのCHROME HEARTSが忘れてはならない最初の気持ちというものをここに残したいと思います。
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その出会いは青山にあるお店から始まった。
ハンガーにかけられたおびただしい服の中で背中にシルバーが埋め込まれた1枚のライダースジャケットが強烈な存在感を放っていた。
その名は「CHROME HEARTS」
そし2度目の出会いは7年後のロサンゼルス。
彼は、あたかも数時間前からそこにいたようにあまりにも自然に空間を支配していた。
彼の名はリチャード・スターク。
その瞬間、それまで止まっていた時間が猛スピードで走り始めた・・。
袖をカットした黒いTシャツによく 穿き込まれた黒いレザーパンツ。
ゴールドのリングにゴールドのキーチェーン、そしてゴールドのバックル。
世界中でもっともクロムハーツが似合う男。
リチャード・スタークは我々が到着するのを待っていたかのように、
或いはひとりだけの静かな朝の時間を瞑想にふけっていたかのように、巨大ば長テーブルの一番奥の席に座っていた。
立ち上がった彼は、ゆうに2m近くある身長。
ボリュームある巻き毛のヘアスタイルやよく日に焼けた肌よりも、まず目を奪われたのは吸い込まれるように蒼く、そして強い瞳だった。
そこは、彼が「ファクトリー」と呼 ぶ場所。
建物を見ただけではそうとは気がつかないが、ここはクロムハーツが生み出される聖域だ。
すべての商品はこのファクトリー作られるんだ。
シルバー、レザー、家具の職人までいろいろな人間が一緒に仕事をしている。
自分の手で作ったりもするんですか?
もちろん、自分の仕事はこなしている。
でも、すべてを自分だけでこなせるわけじゃない。
たとえば俺は縫うのがとても苦手なんだ。
ここには25年間も縫製一筋の職人がいるが、そんな彼らに追いつくのは容易なことじゃない。
ただ、俺はそのぶん毎日デザインをしているからね。
それはだいぶ上手くなったよ。
クロムハーツにはいろんなアイテムがありますよね。
でも、そのアイデアを全部考えるのは大変な作業じゃないですか?
それが逆なんだ。
数千ものデザインを思いつくよ。
紙の上や頭の中に一生かかっても作りきれないほどのアイデアが出てくる。
1個の商品についてすごい数のデザインが浮かんで、それを少しずつまとめていくんだ。
もちろん、それがすべて成功するわけじゃない。
100個のアイデアのうち99個が没になって、そこから新しい99個のプランを考え直していくことだってある。
1つのアイデアだけをとってみても一度でうまくいく場合もあれば、何回もや直さなければならない場合もあるし、
いくらやっても上手くいかないこともあるんだ。
デザインという仕事には終わりがないよ。
じゃあ、そのアイデアが成功したとして、それをストアに並べるために
1アイテムにつき数はどのくらい作るんですか?
やっぱり中には限定品なんかもありますよね?
それは、そのアイテムにもよるね。
商品の中には1個しかないものもある。
10個のもの100個のもの1000個作るものだってある。
どれだけ作るかはものによって違うんだ。
たとえば(壁に飾られている巨大な木製のクロスを指さして※上記写真参照。)
あれは2個しか作ってないよ。
えっ、もう1個はどこに?
シェールって知ってるかい?彼女が持ってるよ。
※『月の輝く夜に』でアカデミー主演女優賞を獲得。
リチャードの友人。
あれは何の木?
リチャードは20代前半に建築の仕事をしていた。
その経験もあって、彼は木材を扱うことが好きらしい。
木を削ったりする作業はいまでも自分で手掛けることもあるようだ。
あの頃は家具も作っていたよ。
1軒の家の中にある家具という家具の全てを作っていたね。
その後は革を売る仕事を始めた。
家具になったり、バッグになったり、パンツになったりするような革をね。
そしてクロムハーツを始めたんだ。
では基本的な質問を。
クロムハーツを始めたきっかけを教えてください。
このビジネスを始める以前に、自分のためにレザーのジャケットとパンツを作ったことがあったんだ。
それを着ていると家族や友達から『いいジャケット着てるね。どこで買ったんだよ?』って聞かれてね。
それから彼らにも作ってあげるようになったんだよ。
その後、親友が映画(CHOPPER CHIPS IN ZOMBIE TOWN)を監督して、その中にライダージャケット来た女のコ達が
出てくるんだが、彼女達の衣装を俺が担当したんだ。
その映画を撮ってる間に思いついた名前がCHROME HEARTSだったのさ。
ただ、映画はとても安い製作費で作っていたから、衣装もいまのようにシルバーで飾られていたりモチーフが刻んであるようなもんじゃなかった。
ただ色を塗られた何気ない革ジャンだったり、古く見せるためにわざと紙ヤスリをかけたりしたくらいなんだから。
いまじゃ誰が見てもあれがクロムハーツだなんて気付かないだろうね
クロムハーツという名前は、どこから考えついたんですか?
いろんな名前が候補に挙がったいて、その中にクロムハーツがあったんだ。
俺が気に入ってつけたんだよ。
クロムは金属で、ハーツは心臓ですよね。
どんな意味があるんですか?
確かにそうだが、単に響きがクールだから選んだだけで、特別な意味はない。
もちろん『鉄の心臓』って意味でもないよ。
ロボットには付いてるかもしれないが、現実にはそんなものはないしね(笑)。
みんなが自由に考えてくれれば嬉しいよ。
ファクトリーのガレージには、エイプハンガー・スタイルのハンドルにカスタムされた、彼の最初の愛車である’85年型ハーレー・ダビッドソンFLHポリス・スペシャルが停められていた。
当然ながら、そのレザーシートはクロスとシルバーの鋲が配されたクロムハーツ仕様。
かなり乗り込まれたと見えて凄みを増したその勇姿は、彼とバイクの蜜月を感じさせる。
そう、これが彼の“鉄の心臓”なのかもしれない。
さらに言えば、クロムハーツとバイクの蜜な関係を象徴するものでもある。
でも、クロムハーツは特にバイカー達のために作っている、というわけじゃないんだ。
もしそう感じるなら、やっぱり俺自身がバイクに乗るからだろうな。
それに最初はいまのようなデザインじゃなくて、自分がバイクに乗るときのためにウエアを作っていただけさ。
だから、たまたま自分がバイクに乗るし、お客の一部が乗るというだけだよ。
だけど、ほとんどの顧客はバイクに乗らないし、好きなわけでもないんじゃないかな。
自分自身はバイクのない人生は考えられないが、大半の顧客はそうじゃないし、このビジネスもバイクのために始めたわけじゃないんだ。
ということは、あなたのライフスタイルがそうだから 、自然とデザインもバイカー寄りになっているっていうこと?
そうだね。
俺はバイクに乗っていたからこそ、自分自身で自分の洋服やいろいろなアウトフィットを作り出したといえるね。
他の人達は革製品を“着る”という目的で買っているが、俺はバイクに“乗る”ために買うんだ。
滞在中、我々がファクトリーに通ったのは3日間。ところが、彼はいつ会っても同じレザーパンツを穿いていた。
カモシカのようなシルエットを持つ、おそろしく長い脚にはそれがとてもよく似合う。
まるで肌の一部とでもいえるようなカッコ良さだった。おそらく一番気に入っているデザインなのだろう。
じゃあ、そのレザーパンツは?
これは2番目だね。毎日穿いてるよ。家に1人でいたら穿いたまま寝てしまうしね。
もしこの仕事を追われるようなことがあったら、その後の人生のために20本のレザーパンツを作ってからやめるよ。
まぁ、それはもっと年をとってからのサイズを考えて作るがね。
実はもうすでに20本くらい持ってて、毎日穿き替えてるんだって思ってましたよ。
だから、そんなに味が出てるんだ。それはもうどのくらい穿いてます?
やっぱり着るのはクロムハーツだけ?
最初にクロムハーツが日本に紹介されたのは、実は意外にもコムデギャルソン青山店だ。
いや、それは意外というよりも、自らの作品だけにとどまらず世界中から川久保玲氏が共感する優れた逸品を紹介するという青山店のコンセプトを考えれば当然の結果だったといえよう。
その時のことを彼はこう語る。
興奮したね。うれしかったよ。最高だった。
あれは確か‘91年のことだったと思うが、俺はパリでショウにも出演したんだ。
(註:コムデギャルソンオムプリュス‘91春夏コレクション。
このショウはエスニックをテーマに掲げ、吉田カバンの吉田克幸氏、ハリウッドランチマーケットのゲン垂水氏も出演した)。
だから、彼らへの感謝の意味を込めて、彼らのシャツのボタンを外してそこにクロムハーツのボタンを付けたんだ。
それから、タグのCOMME des GARCONSの文字をCHROME des GARCONSって書き換えてやったんだよ
その後、クロムハーツは世界中にその名を響かせることになる。
それは世界中の誰もが実現し得なかったアイデアとコンセプトがあったからに他ならない。
レザージャケットの金具をシルバーで作る。
確かにそんなゴージャスなライダースはかつて見たことがなかった。
しかもそこに刻まれているモチーフはまるで中世の紋章だ。そのアイデアはいったいどこから生まれてきたのだろう。
結局、自分自身が当たり前のものを着たくなかったし、世の中にあふれているようなものを買いたくなかったんだ。
そうなると自分で作ることになるんだが、実際、服にはいろいろなものが必要になるんだよ。
それはボタンであったり、ベルトのバックルであったり、それからジッパーも必要だ。
だから作ったのさ。
しかもオリジナルの発想のものをね。
ジーンズでも家具にしてもそうだけど、自分だけのものが欲しかったら作ったんだ。
それからどんどん発展していったんだよ。
ジュエリーについては?
クロムハーツに使われている十字架や短剣とか紋章のモチーフは、中世ヨーロッパを思わせるゴ シックな図案というか、
とてもクラシックな雰囲気を感じるんですよ。
このデザインには何かヒントがあるんですか?例えば過去の経験とか?
クロムハーツの全貌は、ある晩に突然現れたものなんだ。デザインもビジネスもね。
だから、自分の夢に出てきたことを実現化させているといったところかな。
もちろん、そこが苦労するところなんだが、少しずつそれを形にしているだけで、
そして……う~ん、それでいまがある、みたいな感じだな。
あなたはクリスチャン?
となると、以前からこういったモチーフがすきだった…?
そういうわけでもないんだが、確かに昔から教会や墓地、古びた農家などが好きだったね。
俺が小さい頃は(テーブルの上に指でその様子を描きながら)ここが俺の家だとしたら、ここが墓地で、ここが墓地で、ここも墓地っていう環境(つまり、三方を墓地に囲まれた家!)に育ったんだ。
だから、友達の家へ行くにも近道をして墓地の中を通って行ってたんだよ。
そして、その外側はたくさんの木に覆われていた。墓地と木に囲まれて少年時代を過ごしたっていうわけなんだ。
そこには何才まで?
17年間いたよ。生まれてから17才まで。
ニューヨークのユティカっていう場所さ。あぁ、ユティカっていうストアは知ってるかい?
クロムハーツを扱う東京のストアだよ。あの名前は俺の故郷からつけたんだ。
墓地に囲まれた家!日本では、海外の墓地を実際に見る機会は少ないかもしれない。
そこには石で造られた十字架が立ち並び、歴史を感じさせる紋章や、やはり石でできたゴシックな彫刻が置かれている。
彼の家を囲んでいた墓地がどんな様子だったのかは知る由もないが、クロムハーツが墓地からインスパイアされたのだとしたら、ドラマチックなストーリーであると同時にそれは興味深い発見だ。
バイク、ロックといったイメージが先行するその根底に、脈々と受け継がれてきた宗教的な伝統が垣間見えるというのは、
クロムハーツのデザインが単なる流行に終わらない強さと深さを持っていることの理由の1つといえなくはないだろうか。
レザーファッションに対するハード、ワイルド、バイオレンスといった偏見を軽々と覆してみせた革新的なスタイルは、
確かに独特の気品を持ち合わせる。重厚かつ繊細に彫り込まれたシルバージュエリーの数々は、まるで何世紀も前から職人たちの手によって綿々と伝えられてきた工芸品のような印象を誇る。
多くのファッションメーカーが年2回のコレクション発表に‘70年代、‘80年代といったサイクルでテーマ を選択していくのに対し、クロムハーツはまるで何世紀もの時代を自在にさかのぼって、それを現在のマニュファクチャーに仕立ててみせた。
そのあまりにも見事は手際に我々は決してそれをクラシックなモチーフの焼き直しとは見ない。
いや、むしろ非常に現代的な、同時に永遠の魅力を感じるからこそ、それに触れ、そして身につけることを願い続けているのだ。
まして、彼自身の魅力に実際に触れたのなら!
そして、幸運なことに彼のほうも日本人に対してとても好感を持っているという。
日本の人達は、自分がこれだと思ったもの、もちろんクロムハーツに限ったことではないが、とても没頭するというか、のめり込むというか、自分の買うものにとことんまでこだわるところはいいね。
俺は、日本人は大好きだよ。それに決して流行だから無理やり買っているようには見えないね。
彼らは何が良いものなのかよく理解していて、それを追及しているように思う。
とても珍しいタイプだね。
それと、例えば東京にあるデパートのように大きなビルの中にいろんなものが一ヵ所に集まっているような場所はアメリカにはないからね。
訪ねていてとてもおもしろいよ。
アメリカでは裕福なセレブリティ―が 顧客のようですけど、日本のファンは若い人達が中心なんですよ。
そのことはどう思います?
最高だよ。彼らはとても目をひく存在だからね。
それに彼らがもし17才だとしたら、たとえ27才や37才になっても変わらずに身につけている―
そういうスタイルであってほしいね。
若いということは、これから何年経ってもまだ身につけられる時間があるっていうことなんだ。
ファンの中には今30代、40代の人もいると思うが、常に身につけているわけにはいかないだろう?
でも、若い人達は外に出て、それを見せてくれるのがうれしいね。
ところで、クロムハーツのファンの中で一番カッコ良いと思う人は?
なるほど。娘さんは何人?
7才でもうクロムハーツを!?どんなものを着てるんですか?
最初に作ってあげたのは?
乳母車は?
(註:これもガレージに置いてあった)
クロムハーツを身につけるなら、どんな人がふさわしいと思う?
資格なんてないよ!
老人でも赤ちゃんでも着られるさ。
別に全身レザーを着なければいけないわけじゃないし、
シルバーをつけなきゃいけないわけでもないんだ。
ただ1つを選べばいいんじゃないかな。
その1つを着こなしていればいいんだよ。
誰でも初めからカッコ良いわけじゃないだろ?そうだ、日本の警察が着てもいいんじゃないかな?
クロムハーツを着た日本の警察?
すごい発想。そうなったらきっと警察官は人気職業の上位に間違いない。
それにしても彼はクロムハーツという方法論をいとも簡単に、そして自由に展開してみせる。
彼は実にアーテ ィスティックだ。じっとこちらの目を見つめるあの蒼い瞳は、まるで少年のような輝きにあふれている。
スタッフたちから彼を慕う気持ちが伝わってくる以前に、彼の放つオーラにはすっかり魅了されてしまった。
エネルギーに満ちた強さの奥には、子供のように自由な部分をまだ大切に持っているのだ。
なおかつ彼は、大変な勤勉家でもある。
起床は毎朝4時。
5時半には家を出る。
当然ファクトリーの厳重なロックを解くのは彼だし、しかも最後にロックするのも彼だ。
1年かけてNYのストアを造っていた時などは、NYに4~5週間滞在して2日だけLAに戻る生活を8ヵ月も続けた。
彼にとってのクロ ムハーツは、ビジネスというよりライフワークなのだろう。
そして、自分の好きなことに夢中になれるパワーは人並み以上だ。
そしてもっと驚かされたのは、彼がクロムハーツそのものだったこと。
ここまで作る側と作った者が同じ顔を持つのは、世界的なブランドでも希少だ。
彼にはデザイナーよりも<クロムハーツを創造したアーティスト>の肩書がふさわしい。
彼のジュエリーの魅力は、そこから醸し出される人間味が自然と我々の心に響いているからといえるだろう。
実際、彼が語った未来のクロムハーツ構想はどれも心くすぐられるものばかりだった。
いまやりたいのは家をすべてデザインすることだ。
中でも一番興味があるのがインテリアだよ。
俺がずっと夢見てるのは21世紀のデザインで法律専門の図書館を造り上げることなんだ。
きれいな木材を使った図書館をね。
もちろん、フロアから天井まですべて俺がデザインするんだよ。
そりゃ、すごい。
NYのストアにも驚かされたけど、完成したらきっとそれ以上のものができますね。
もっと具体的な新しいプランはありますか?
もちろん!今年の後半にはLAにもクロムハーツのストアをオープンさせるよ。
もう場所も決まったけどまだシークレットさ。
それから日本のストアも決定しているんだよ。
本当ですか!それはいつ頃になりそう?
予定では来年の初めには工事を始めるつもりなんだが、LAのストアの進行次第だな。
でも、今世紀中のオープンは約束するよ。
日本のファンには楽しみにしていてほしいね。
最後に提案なんですけど、これから何十年か経ってあなたとクロムハーツがいま以上に成功したら、クロムハーツのミュージアムを建てる気はありませんか?
やっぱり真っ黒なクロムハーツ仕様のビルになるんでしょうね?
現在のCHROME HEARTSの比べると変ってしまったことが多いことにも気づくでしょう。
ただ、CHROME HEARTSというブランドの始まりにあったリチャード・スタークの思想や哲学はここに掲載された二つのインタビュー記事から感じ取って欲しい。
それが本当のCHROME HEARTSの姿だと思うから。
日本人のビジネスマンたちの手に染まったCHROME HEARTSは、もはや私たちが狂信的にファンになったCHROME HEARTSじゃないかも知れない。
しかし、あの当時に手に入れた熱い思いは僕たちのアイテムの中に宿っている。
その思いと共に、いま手元にあるCHROME HEARTSと過ごして行こうと思う。