いまや全国展開されているクロムハーツのオンリーショップ。
かつては海外にしかその類稀なる空間は存在せず、日本国内ではインテレクチュアルギャラリーとユティカ、ユナイテッドアローズが正規代理店としてクロムハーツを取り扱っていた。
中でもインテレクチュアルギャラリーはクロムハーツニューヨーク店に続く、世界第二位の品揃えを誇り、クロムハーツとの別注アイテムも企画するなど大規模に展開していた。
ただ、アイテムの品揃えだけではリチャード・スタークが創る空間を体感できないのが実情。
スポンサーリンク
クロムハーツにあるものは全てクロムハーツでなければならない。
セレクトショップでは限界があるのです。
そんな矢先、「日本にもオンリーショップが出来る」と雑誌インタビューでリチャード・スタークの口からでた言葉は衝撃的でした。
そして1999年、日本で第一号のクロムハーツオンリーショップ「CHROME HEARTS TOKYO」がオープンした。
天井一面にクロスのレリーフが施され、店内の家具は黒檀、マホガニーとシルバー、そこにディスプレイされたアイテムは今までとは違う輝きを放っている。
黒革のソファーに黒檀のテーブルや什器が配置された贅沢な空間はいままでの百貨店などにあったブランドショップとは異彩を放っていた。
ショップ内の重厚なる空気は、わたしが所有するクロムハーツのアイテムの価値をより一層高めてくれる。
これもマーケティングの一環なのだと分かっていても、感じてしまう充実感はさらなる物欲を刺激する。
ショップを通じて表現されたクロムハーツの世界観に触れるとクロムハーツを身に着けることで自分が変わるという現実を体感できる。
私たちを魅了し続けるクロムハーツを創る男もまた至極魅力に溢れる。
本人に出会ってしまったなら、わたしはきっと一生クロムハーツから逃れられないだろうと思う。
彼が身に着けるモノが全て私たち狂信者にとっては最高のアイテムになってしまうのです。
一種の盲目がそこにある。
だが、リチャードから離れたものには魅力を感じない。
いまわたしが懸念しているのはそこにある。
「昔のクロムハーツが良かった。」
という声をよく聞くようになりましたが、それはリチャードが創りだしていたクロムハーツにリチャード以外の手が加わるようになったからだ。
濃度が低く感じるのです。
ただ、組織が大きくなるということはそういうことなのです。
経営とは人を使って自分のやりたいことをする。ことです。
ここまでクロムハーツが世界的に展開してしまうとリチャードの息がかからない場所がどうしても出てくる。
それに奥さんや娘まで参入している。
もうそこにはリチャード自身の感性は無い。
部下と違いファミリーになると逆にリチャードの意見が尊重されにくい。
そうなると「クロムハーツ=リチャード」という絶対的な図式が崩れる。
日本での販売となると「有限会社クロムハーツジャパン」も口を挟む。
そうやって土台固めした会社はシステマティックに利益を生み出し続ける。
会社は誰か一人が抜けたら組織が保てないという状況を作ってはならないと言われる。
「属人的であったはならない」と。」
誰が抜けても通常通りに業務が遂行されるのが理想である。
「あの人が今日は風邪で休みだから・・この業務は出来ない!納期を先送りしてもらおう!」
「あの人が交通事故で死んじゃった!この業務はどうやったらいいの!?誰もわからない!ああどうしよ」
じゃダメなんです。
誰が抜けても業務が円滑に遂行されることが重要なのです。
クロムハーツにしてもそれは同じ。
リチャードが抜けても問題無い体制をつくることが重要。
となると、どうしてもリチャード濃度が低くなる。
じゃあどうすればいいのか・・・
「リチャードの息が届く範囲で展開する」
しかないと思います。
人の力は有限です。
リチャードのもつ影響力は計り知れないものですが組織が大きくなってくると末端までは届かない。
昔のクロムハーツにしたいのであれば昔の大きさに戻すしかない。と思います。
SC内のクロムハーツが同じに見えるのは仕方が無いのです。
そういうブランドをつくることに日本がなれてしまってもうそうなれば資本家の使い捨てです。
昔のようなクロムハーツを取り戻すには小規模のビジネスに変えること。
そしてビジネスライクとした時間軸ではなくクロムハーツ独特の時間軸、芸術を生み出せる非効率性の中に身をおかなければ
昔のような濃いアイテムは今後生まれてこないでしょう。
これからのクロムハーツとの付き合い方としては、取り合えず新作のモチーフは無視しつつ、古来のモチーフを用いたアイテムや
WESCO等とのコラボアイテムには眼を光らせる。
取り合えずそれで・・・。