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志村けんさんが僕たちにくれたもの

日本全国に笑顔、お笑いという癒しを与えてくれた志村けんさんが新型コロナウイルスに感染し亡くなられた。

志村さんの死で心の底からショックを受けた人も多いのではないでしょうか。

志村けんさんの死はただの死じゃない。

僕たち日本国民に共通の死なのです。

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身内の死

志村けんさんは僕が小学生の頃からテレビで活躍し、8時だよ全員集合では「志村うしろーっ」叫んでいた。

志村さんはテレビ番組を通して癒しを与続けた。

僕たちが子供の頃から大人になるまで、志村さんは癒しを与え続けた。

志村さんの存在は、何処かで元気に過ごしてて欲しいと思える身内の様な存在になっていた。

養老孟司先生が著書「死の壁」で死について述べている。

死には「三人称の死」と「二人称の死」と「一人称の死」がある。

「三人称の死」はまさに他人の死。

ニュース番組で見る死は大半が「三人称の死」です。

「一人称の死」は自分の死。

自分が死ねば全て無に帰するから考えても無駄な死。

そして「二人称の死」があなたの死。

僕たちの身近にあるものの死。

親や友人、身内全ての死。

この死が僕たちが悲しみを抱き、感情が降り注ぐ死です。

そして、志村けんさんの死は僕たちにとって「二人称の死」なのです。

訃報を聞いて飛び起きた。

7連勤の後にゆっくりと寝ていたら、子供たちから「志村けん死んだ」と聞かされた。

つい最近まで、元気な姿を見せてくれていたのに。

悲しみと同時にコロナウイルスに対しての怒りや恐怖が心に伸し掛かってきた。

志村けんさんが僕たちに与えてくれたもの

志村さんの日本国民にとっての二人称の死。

志村さんは僕たち日本国民に危機感を与えてくれた。

自分だけは大丈夫と思っていてはいけない。

僕たちも、まさか志村さんが亡くなるなんて思ってもみなかった。

正直言って、志村さんは助かると思っていた。

お金もあるし、芸能人だから最高の医療が受けられるだろうから、元気な姿を見せてコロナウイルスについて語ってくれるであろうと考えていた。

しかし、予想だにしない志村けんさんの死は「お金や最高の医療でも助からない」というコロナウイルスの現実的な恐怖に生まれ変わった。

志村けんさんの死によって、我々は政治家のコロナウイルス対策に今まで以上に注目することになるでしょう。

コロナウイルスを甘く見るな

コロナウイルスの怖さはクラスター感染です。

自分がコロナウイルスに感染していると知らずに、人に接触して感染させてしまう。

政府が発表している感染しやすい場所に含まれてはいませんが、満員電車と学校はキーポイントです。

僕は会社の要請で公共の交通機関を使うことは禁止になりました。

車通勤か自転車、また通勤が不可能な社員は会社の寮から出社です。寮といってもマンションです。

しかし、コロナウイルスんい大して、ここまでの対策を取る会社は多くないでしょう。

満員電車に乗って会社へ向かうサラリーマンはたくさんいます。

そんなお父さんが知らぬ間にコロナウイルスに感染し、子供に感染させ、子供がそのコロナウイルスを持って帰ってくる。

学校という場所が感染経路の拡大に拍車を掛けるのは明白です。

それなのに、学校は各自治体によって「柔軟に」対応するそうです。

要するに、政府が地方自治体に丸投げしたのです。

なにこれ、わざとやってんの?

志村さんの死を無駄にさせてはいけません。

少なくとも僕の子供たちは学校へは行かせません。

確実にコロナウイルスに感染しない。と学校側が断言できるようになれば通わせます。

コロナウイルスのパンデミックを毎日のニュースで報道しているのになぜこんなことができるんだろう。

僕が大好きだった志村さんがもし生還していたならば、子供たちの命を守るべく学校再開に反対したでしょう。

親が子供を守るのです。

僕たちがお年寄りを守るのです。

学校へ行かさないのは、政策に対しての抗議として受け取ってもらいたい。

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さなすけ

会社経営、個人事業主。 妻と子とサスケ(オカメインコ)とクロムハーツを愛し、筋トレに目覚めたブロガーです。

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