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おかしいことを「おかしい」と言えない日本という社会へ

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なぜ私たちはおかしいことを「おかしい」と言えなくなってしまったのでしょうか。

そもそもいつからおかしいことを「おかしい」と言えなくなってしまったのか。

自分なりに考えてみました。

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おかしいことを「おかしい」という人が「おかしい人」

おかしいことを「おかしい」と言うと「おかしい人」と思われるのが日本の社会だからです。

なぜ、おかしいことを「おかしい」と言うと「おかしい人」と思われるのか。

それは、黙っていれば波風が立たないのに、それを発言することによって自分以外にも被害?が及ぶからです。

だから「おかしい」とは思っているし、気がついているけれど黙っているのです。

アメリカならここで自己主張しなさい!

と教えられるけど、日本では「要らん事はいうな」という空気になります。

組織の中のぼく・わたし

まずは「小さな社会」という意味で会社組織の中で考えた。

おかしいことを言っている人たちには、以外にも権力を持った人が多いとう現実がある。

っていうか発言という権限は権力を持った人の方が自由度が高い社会なのです。会社は。

そんな中で権力をもった者同士は馴れ合いの関係だから、自分にとばっちりが来ない範囲で宥(なだ)め合う。

上司の馴れ合いを「おかしい」というと「黙れ」と権力をもった人達に押さえつけられる。

それに「おかしいこと」を「おかしい」って言い続けるのってパワーが要るんですよね。

なので、下の者どうしで「おかしいよね」言ったりして同調することで仲間意識を高めながら

おかしいことを受け入れたりする。組織にいる間は。

それでも以外にうまく回ったりするんです。会社の場合は。

このように物言わぬ人達が固まりだし、小さい組織の人達は一般庶民と呼ばれ、

おかしいことをおかしいといえない市井が出来上がる。

しかし、そんな彼らでもいつも黙っているのかといえばそうじゃない。

社会に対してハッキリ言うときもある。

どんなときなのか。

それは、匿名性が保たれるとき。

言い過ぎるネット社会

自分が何者かを知られないときというのは彼らの強さ(否むしろ弱さか)は尋常じゃない。

歯に衣着せぬ物言いで相手を論破するまで引かないし、

ときには意味も無く罵詈雑言を浴びせたり、容姿や揚げ足を取りただ叩く。

ただ、これが個人が特定されると反論を恐れ何も言えなかったりする。

自己主張なのに自己を特定されることは好まないという不思議な民族なのです。

ちなみに、インターネット上で個人の匿名性は保証されていません。

僕も悪質なコメントを頂くことがありますが、全て保存しています。

要約すると恐怖心という言葉で片付けられます。

たまに滑らかな論調で物議を申し立てる人達も出現しますが、

よく口を滑らせて話が思わぬ方向へいって叩かれ、マスコミの良いオモチャにされてしまう。

おかしいことを「おかしい」というのは国民性じゃないのかも知れない。

日本という国は昔からおかしいことを「おかしい」とは言わずに物事を何となく刷り合わせてきたのではないでしょうか。

「和を以て貴しと為す」そういう文化なのです。

現実を直視することが出来ない社会は、思っている事を口にすると周りから非難されるという現実があります。

実際問題として原発事故後の政府の対応で、我々は政治家(国家)に対して信用を失った。

公共の期間が出した放射能に関するデータを信用しろというのが無理な話なのに、それをいうと風評被害だ!強く言われる。

だから黙っていようとする。

自分さえ、家族さえ口に入れるものに気を付ければいいと思っている。

日本人のそういった自己主張をしない文化が

意外と住み易さに繋がっている部分もあるんじゃないか。とも思います。

けど、問題は解決せずに先送りされるだけなんですけどね。

以下は目次です。

表題にあったフィフィさんの著書の目次です。

第1章―日本人のおかしなところ
・メディアに使われている日本人
・失われる日本人のアイデンティティ
・男女が抱える性の問題

第2章―フィフィを形作るもの
・「人と違う」ことに悩んだ学生時代
・私を支えてくれた三人の恩人

第3章―なぜ私は日本のために意見しているのか
・報道されなかった「アラブの春」の真の姿
・そして「フェイスブック革命」は起こった

第4章―外国人を甘やかす日本というシステム
・優先すべきは日本人学生
・外国人への生活保護支給のおかしさ

第5章―日本人にとって未知のままのイスラム社会
・あなたの知らないイスラム女性
・イスラムの日常生活

第6章―グローバルな視野をもつために
・なぜわれわれは外国語を学ぶのか
・外を知る前に内を知れ

おかしいことを「おかしい」と言うために

自由な発言をする場を持つことが大切です。

それが家庭という人も居れば友達という人もいるでしょうけど

わたしの場合、このブログがそういった発言の場になっています。

言いたいことを言っているし、それに対しての反応も見れるし

この場を持つことでのストレスの軽減率はすごいです。

もうブログが無かったら精神的にキツイ。

本当に言葉を発することで発散されることって多いということに気が付きます。

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さなすけ

会社経営、個人事業主。 妻と子とサスケ(オカメインコ)とクロムハーツを愛し、筋トレに目覚めたブロガーです。

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